自慢・見せびらかす欲で人生が自滅する?みんながおちる人生の罠【金の冠をかぶった雀】

あるある子育て悩み
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このブログは、日常に潜む魅力を発信する雑記ぶろぐです。読者の皆さんに分かりやすく伝わってしまう内容です。(笑)
 私の思いをまとめるなら『考え方を変えることで、一人ひとりの人生は絶対に豊かになる。』 この一言です。頑張って記事を書いています。
 どうか一度、ご覧くださいね!

RioMay
RioMay

皆さん、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ、グーグルのラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン、マイクロソフトのスティーブ・バルマー。
彼らの共通点は何でしょうか?

それは、強力なサービスやビジネスモデルで世界を席巻した経営者であると同時に、ユダヤ系であるということです。


彼らの共通点は「タルムードの教育」を受けています。
子育ての視点が変わると思いますので、紹介しますね!



タルムードとはユダヤ人が古くから大切にしている行動哲学の話です。


「金の冠をかぶった雀」

ソロモン王はユダヤの最も有名な王様である。ソロモン王は大きな鷲の背に乗り領地の視察に飛び回っていた。

ある日、エルサレムから遠く離れた領地に飛んでいく途中、たまたま体調が悪くなり鷲から落ちそうになった。


すると、それを見ていた雀たちが何百羽とやってきて、ソロモン王が鷲の背中から落ちないように体を支えた。これに感謝したソロモン王は、雀たちに「おまえたちに何でも欲しいものを与えよう」と言った。


雀たちは巣に戻り、何をもらうか大議論をした。いつまでも身を隠しておけるブドウ畑」「いつでも水が飲める池」「食べ物に困らないように野原に穂を撒いてもらう」という意見もあった。その中でこんな意見がでた。「ソロモン王と同じような金の冠をかぶって飛んだら、さぞかし誇らしく飛べてかっこいいだろう。」。雀たち全員が「そうだ、そうだ!」と賛成し、意見がまとまった。



雀の代表がソロモン王に「王様と同じ冠をください」と言ったところソロモン王は「あまりいい考えではない。考え直したらどうだ」と言ったが、雀は「いや、ぜひ私たちに冠を!」と繰り返した。王は「そこまで言うなら仕方ない」と雀たちの願い通り、全員に冠を授けた。



金の冠を被った雀たちは嬉々として大空を飛び回った。今まで猟師たちは雀などには目もくれなかったが、金の冠をかぶっているために、全国で雀が狩られるようになった。



仲間たちはみんな撃ち殺され、雀たちはとうとう最後の五羽になってしまった。最後の五羽は、ソロモン王のところに命からがら駆け付け、「私たちが間違っていました。金の冠はもういりません」と言った。 



雀から金の冠が取り外され、雀は少しづつ平和を取り戻し、何年かのうちにまた元の数に戻ったということだ。(終わり)




<ユダヤ人の教育法>

この話を聞いて、みなさんはどう思いましたか。

ユダヤ人の家庭では、話の結末に行く前に、親が子供に対して「この後雀はどうなるだろう?」「雀はどうすればよかったのか?」「雀の失敗は何を表しているのか?」など問いかけをします。

ここでは一つの解釈を先に言ってしまいますが、雀の失敗は「財産を見せびらかすと身を亡ぼす」という抽象を表しています。

タルムードは問題ではありません。


そのため正解はありません。しかし親の対話の中で、物事の本質を突き詰めていく練習をします。これを重ねることで、ユダヤの子どもたちはタルムード寓話の具体例から、人生に起こりうるあらゆる問題を知り、柔軟に対処する術を身につけるための知恵を獲得します。

ユダヤ人の行動の原動力となっているタルムード。これがユダヤ人の成功の秘訣なのですね。




タルムードの様々な考え方の一例!


出会った全ての人から学べる者が、この世の中で一番賢い」

人を卑下したり、他人を認めようとしない人は、出会う人々から何も学び取る事は出来ず、成長しません。

しかし、例えどんなに揶揄される人物であっても、必ずや幾つかの長所を持っています。
出会った人全てから、その長所を見出し、学び、自分の長所へと置き換えていける者こそが、この世の中で一番賢い人だとタルムードは教えます。

「まずは人を認めろ。長所を探り出せ。良くも悪しくもその人の長所を自分の武器に成るように身に着けろ」と言うようなものです。



「愚かな者は自分の知っている事を話す。
  賢いものは自分が何を話しているのかを知っている」


まるで音楽プレイヤーの様に、一方的に話す人がいます。

相手が何の感想を言おうと関心がありません。一方的に知っている限りの事を喋り、ストレスを解消します。しかしいくら喋っても、聞き手からは賢い人とは思われません。

本当に賢い人は、自分の口から出る言葉が、相手の頭にどの様に響き、何を影響するかを考えながら話します。相手の表情を見ながら、返される言葉を聴きながら、自分の話が相手に与える影響を把握しています。

要するに自分が話をする事によって、何が変化し、どういう影響を与えるのかを見ながら話しているのです。賢い者は相手の思考をコントロールしていると言う事です。



「自信を失うということは、自分に対して盗みを働くようなモノである」

 自分の物を盗まれる瞬間を知る人は居ないが、結果何が無くなったかは解る。

自信を失い、落ち込んでいる時間が長ければ長い程時間と勇気を失う。
立ち直りの遅い人間、落ち込んでいる哀れな自分に酔っている者は、自分の人生を大切に思っていない証拠である。


自分の人生は自分だけのものではない。
家族や友人、職場でのポジションを考えれば、そうそう落ち込んでは居られない。
直ぐ立ち直る人、立ち直るのに時間やイベントが必要な人、どちらが成長するか、考えなくとも解る。



「自分より賢いものに負ける方が、自分より愚かなものに勝つよりも得だ」

勝ち負けにこだわる者か、その行動から得られる自分の成長にこだわる者か?勝負と言うものは自分とは違う考えの相手と創意工夫を競い合えるものである。

自分以外の優秀な考え方に触れ、それがしっかりと理解できれば、勝敗など意味の無いものだ。


勝っても何も変わらない。はじめから勝つ事が解っている勝負はするだけ無駄だ。

負けて学ぶ。自分の弱さ、考えの未熟さ、あらゆる敗因が学べれば、小さな勝敗よりも大きな価値を持つ。



「粉屋が煙突掃除屋と喧嘩をすると、粉屋は黒くなり、煙突掃除屋は白くなる」

 簡単に言うと、自分の得にならない喧嘩はするな。と言う格言である。

粉屋が煤だらけの煙突掃除屋と喧嘩をすると、たちまち黒くなってしまう。喧嘩に勝とうが負けようが、商売に戻る為にはシャワーを浴び、服を全て着替えなければならない。

一方煙突掃除屋は白くなろうが、赤くなろうが、そのまま仕事に戻れる。

例え引き分けたとしても、粉屋に分の悪い結果となる。感情で喧嘩をしてはならない。

大人の喧嘩は、今のポジションを有利な位置に移動する為の手段である。無駄の無い日々を過ごせという教訓である。




「正しい者は自分の欲望をコントロールするが、正しくない者は欲望にコントロールされる」

善悪・倫理は理解しているつもりでも、欲望は強く人間は弱い者だ。

結果的に気づかないまま欲望に駆られ、善悪をしっかりと見定めずに行動した結果、将来に影響する悪い評価を受ける場合もある。

モノの善悪は、その時代時代で尺度が違う。善悪を定義するのは自分ではなく社会の体勢の目線である。正しい者は時代の定義を敏感に得て、欲望の強弱をコントロールし、結果的に悪い評価を生まない慎重な行動を取る。

欲望を無くせと言うのではない。上手くコントロールすべきものと訴えている。



「もしあなたが、悪への衝動に駆られたら、それを追い払うために、なにかを学び始めよ」

悪への衝動、悪行の対価への欲望。
そう言うものに負けそうな自分は、間違いなく「未熟」である。イチゴを目の前に置かれ、おやつの時間までは食べてはいけませんと言われても食べたい衝動に駆られて食べてしまう子供と同じだ。

そういう時は、何でも良いから、何かを学んで自らを成長させる事だ。人生観や理論を学ばなくとも、数学でも経済学でも良い。

自らの脳みそに新しい知識、新しい刺激を与えることだ。その情報や知識、そしてその行為は、未熟な自分を必ずや成長させる。

成長した自分が同じ衝動に駆られるなら、勉強が足りないだけだ。
未熟な判断は、賢くなる事で防げるのである。



「他人の善意で生きるよりは、貧しいままでいる方がいい」

善意は謹んで受け入れるべきだが、それを生活の糧にしてはいけない。それならば満たされずに日々暮らし、自らの思いを遂げる努力をすべきである。 

自らの満足を他人の行為に求める者は、人生を捨てると同じ事である。人間としての誇りを内に秘める事の大切さを訴えている。



「他人の前で恥じる人と、自分の前で恥じる人では大きな開きがある」

他人の前で恥じるのは、自分が恥をかいて嫌だと言う稚拙な感情から来る。

しかし、自分だけの世界で自らを恥じる時は、自分自身に大きな責任を感じて自らの行為を改革する決意や責任感がある。

そもそも他人の前で恥をかくのは損では無く自己成長に繋がる。
訊くは一時の恥、知らぬは一生の恥と故事にも言われている。



「貧しい人の息子は讃えられよう。人類に英知をもたらすのは彼らだ」

多くの偉人達に共通するのは「不満分子」であった事。それが貧困であったり、逆に豊かなの
だが、家柄に縛られていたりと、その処遇に満足がいかない向上要求をパワーにして新たな分野を切り開いている。

安穏な未来、引かれたレールに従う子供達にはそう言うパワーは宿らない。

偉業を成し得ると言う事は並大抵の努力ではない。そのパワーは、幼い頃から積み重なった反骨精神や成り上がり願望から来る。

何度苦労しても這い上がるしかない環境で、そう言う「折れない心」が育まれるのだ。

百獣の王ライオンが我が子を千尋の谷に突き落とす。

その谷を這い上がる子孫こそ未来永劫の繁栄をもたらすからに他ならない。




「学ぼうとする者は、恥ずかしがってはいけない」

たとえば学びの場で恥をかく。

心弱い者は同じ学びの場へは行けない。嘲笑を浴びせた人々の前にのこのこ出られないからだ。

恥をかかない事が大事なのか、知らない事を知る事が大事なのか、後者である事は言うまでもない。

大人になると兎角恥が邪魔になって素直に学べない。大人になっても学ぶべき事は山ほどあるのに、恥を回避する為に多くの成長を逃してしまう。


自分の為に恥をかくのではない。家族のため、地域のため、世のために恥をかくと思えば、それ程嫌な事じゃない。



「自分を知ることが最大の知恵である」

人は理想の人物像を真似ようとする。しかし自分と理想の人物の間に存在する人としての「素材のギャップ」はあまり認識されない。

ハウトゥーを知ろうとするが、その手段を行うに足るポテンシャルが自分に備わってるかを問わない。

他人の行為は隅々まで見えても自ら歩いた道の隅々まで知る者はいない。「人は鏡の中に最も好きな自分を見る」と言うように、普段は自分の嫌いな表情を無意識にしている事に気がつかない。

私は私の事を本当はよく知らない。そう言う意識を常に抱きながら、自らのポテンシャルを知ろうとする習慣が必要である。

自らのポテンシャルを把握し、且つ、周りの環境を把握すれば、全て計画通り推移するはずである。



「賢い人間の前に座る人には三つのタイプが居る。言われた事を何でも信じてしまう人。右の耳から左の耳に抜けて何も残らない人。賢い人の言葉から『大切なもの』と『そうでないもの』を選別する人。」

そう言う視点に立って以下の文章を読んでください。


『よく学べ』
  がむしゃらに学べばよいのではない。受け身では無く、自ら率先して自分に必要な事を学ぶのである。


『よく質問せよ』
  解らない事を片っ端から質問をする意味ではない。特に自分に対して、己の行動・言動の正否を質問せよ。


『権威を認めるな』
  単純に権威に逆らえと言うのではない。世界のあらゆる進歩は既成の権威を否定するところから始まっている。意味の無くなった権威に怯える事はないとの意味である。



『自己を世界の中心に置け』
  利己主義の勧めでも他人を軽んずるものでもない。自己責任を明確にする事だ。世界の責任を担う位の使命を抱き、行動すれば自他共に大きく成長する。覇者ではなく執行責任者である。





まとめ

「生涯にわたり知識を身につける」という習慣は、幼児教育で育まれる!



ユダヤ人は幼児期から教育を徹底しています。
たとえば、ユダヤ教の聖典「タルムード」を赤ちゃんのうちから親が読み聞かせをしますし、文字が読めるようになると子どもに音読をさせます。さらに、道徳教育もしっかりと行うため非人道的な行動に走る子どもが少ないという特徴もあります。
小さいうちから本に囲まれた生活を送ることで、人に奪われることがない知識を生涯かけて養うようになるのですね。


【参考動画:「金の冠をかぶった雀」】



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