目的に応じた行動をしないと努力は報われない?
そんなことを意識して実施している方はいらっしゃりますか~?
昔、学校で「努力をすれば報われる」という言葉を信じて、頑張ったものですが、なかなか、結果がでない。そんな事はありませんでしたか?
今回は、適切な行動が結果を出す内容を勉強しますね!
努力は必ず報われる。
そう信じることができれば、 人はどれだけ辛くても努力し続けることができます。
ただ、目的がないと、とりあえず筋トレする、英会話を習ってみる、いつか役立つと思うから・・・
と、努力はしているけど、効果や成果がイマイチ、という方は多いのではないでしょうか。
ここでポイントがあります。
「努力」とは具体的に何を指しているのか?
「報われる」とは具体的に何を指しているのか?
何ごとも
- その人がどんな価値観をもっているか
- 何に幸せを感じるか
- どんな人生を歩みたいか
それによって、「何をどうすべきか」という答えは変わります。
まず努力とは?
努力とは何の意味かを確認しましょう!
1.努力とは、精神論でなく、方法論である
努力をする人々は、「きついことを何とかしてこなそう」とするのではなく、「どうやって楽に継続するか」を考える。良い意味で、自分を信用していないので、努力を仕組み化する。
例えば、「家に帰らず、会社帰りに勉強する」など、継続できるためのルーチンを作る。
2.努力とは、才能でなく、環境に依存する
努力を出来る才能、と言う方がいるが、努力できる人たちは「才能」といった眼に見えないものを当てにしない。代わりに、目に見える「環境」を何とかして努力ができるようにしてしまう。
勉強しやすい環境、継続しやすい環境、心地よい環境を自ら作り出す。
3.努力とは、結果でなく、過程である
努力できる人たちは、結果よりも過程を重視する。「どうせ勝てないからやらない」「今から一流になるのは難しいからやらない」とは言わない。
「勝てるようになるかどうかは分からないが、そこに至るまでの過程が大事」あるいは、「一流を目指す姿勢が重要」と言う。
4.努力とは、楽しむものではなく、単なる習慣である
努力をし続けている人たちに聞くと、ほぼ例外なく「キツくて嫌になる」と述べる。「では、なぜ続けているのですか?」と彼らに聞くと、彼らは決まって「習慣だから、やらないと気持ちが悪い」という。
努力をし続けている大半の人は楽しんでいるわけではなく、いつものことをしているだけである。
5.努力とは、達成感ではなく、学習感である。
達成感を味わうために努力している、という方も中にはいるが、実際にそれよりはるかに多い人が感じているのは、「今日はこれを学んだ」という学習感である。
大抵の場合、努力は成果と直接には結びつかないため達成感は味わいにくい。
むしろ自分の中に何が得られたのかを重視するほうが、努力するにあたっては有益である。
6.努力とは、信仰である。
努力をしたほうが良いかどうかは、本質的には誰にもわからない。報われる保証もないし、結果がでるという客観的な証明もできない。
だが、「努力をする人」は、「努力をすることの価値」を信じている。それは一種の信仰であり、証明を必要としないものである。
”超一流”と“一流”両者を分ける「1万時間の法則」
生まれつきの才能か、それとも積み重ねた努力なのか。
それを解き明かすため、私はバイオリン科の教授に協力を依頼し、卒業後に世界トップクラスのバイオリニストになることが確実な生徒(Sランク)、優秀ではあるものの世界で活躍する程の実力は持っていない生徒(Aランク)、そして教員コースに進んだ生徒を、それぞれ10人ずつ選出しました。
そして、彼らがバイオリンを習い始めてから今まで、一体どれほどの時間を練習に費やしてきたのかを徹底的に調査したのです。
すると、3つのグループの間で、18歳になるまでの練習時間の合計に、大きな差があることがわかりました。まず、教員コースに入学した学生は、18歳になるまでに平均で3420時間の練習を積んでいました。これは、趣味でバイオリンを弾いている人とは比較にならない程の練習時間です。しかし、Aランクの学生はそれをさらに上回る5301時間、そしてSランクの学生は7410時間もの練習を積んでいたのです。
ここで注目すべきなのは、練習時間の差が、そのまま能力の高さに直結しているところです。彼らはみな、ドイツ最高の音楽大学に合格した、才能ある音楽家たちです。そうしたハイレベルな人たちの中でも、練習時間の差が、そのまま能力の差に繋がっていたのです。
また、彼らの中には、比較的少ない練習時間で高い能力を獲得することができた、いわゆる「天才」は一人もいませんでした。つまり、人よりも優れた能力を得るためには、人よりも多くの練習を積むしかない、ということです。
その後、ダンサー、テニスプレーヤー、数学者、チェスプレーヤーなど、対象を変えて同様の研究を行いましたが、やはり結果は一貫しており、「能力の差は練習時間の差」で説明できることがわかったのです。
超一流の人がやっている特別な「練習方法」とは?
たとえば、意外にも年長の医師は、若手の医師と比べて、医療の知識に乏しく、適切な治療の提供能力にも欠けていることがわかっています。これは、楽にこなせる範囲で満足し、ただ「経験」を積むだけでは、能力は向上しないどころかむしろ落ちていく、という事実を示しています。
苦手な練習を繰り返し、あえてコンフォート・ゾーンから飛び出すことで、初めてスキルがアップするのです。
「グループではなく、一人で没頭する時間を確保する」「上達が頭打ちになったときは、取り組むメニューを少しだけ変えてみる」「オンの時間とオフの時間をはっきり分け、一日のスケジュールを組む」など、いくつかのポイントがあります。
「生まれつきの才能」など見つかっていない
私たちは、優れた能力を持ち、他を圧倒する「超一流」の人たちを目にすると、ついつい「あの人は生まれつき才能に恵まれていたんだ」と思ってしまいます。しかし、これまでの研究では、「トッププレーヤーに共通の遺伝的特徴」など一つも見つかっておらず、ゆえに「生まれつきの才能」といったものが存在するエビデンスは一切ないのです。
つまり、私たちには、「スポーツの才能はこれだけ、勉強の才能はこれだけ」といった、生まれ持った能力の限界値などない、ということです。能力を伸ばすには限界的練習を積み重ねるしかありません。しかし、それは裏を返せば、私たちは誰でも、限界的練習を繰り返すことによって、周りの人から見れば「生まれつきの才能」になるのです。
ちょと待て!1万時間でも成長しないぞ!嘘だろ!
この1万時間に反論する動画がこちら!
動画の内容をまとめると・・・
- 子どもが生まれあまりの忙しさに忙殺されていた。そんな忙しい人ほど試してほしい。
- 10000時間なんてそんな時間あるわけない!一生勉強できない!と思った。
- よく考えると10000時間は8時間のフルタイムの仕事5年分に相当する。今までできていたことを振り返るとそこまでかかってないことも多い。矛盾を感じる。
- 研究すると10000時間はものすごく優れた専門家になるまでの時間。何か物事を習得するための時間ではないということ。
- 何か人にコツが必要な技術を習得させようと思うと最初はものすごく伸び、そのあと減衰していく。
- 綿密に計算すれば、コツを習得しようと思ったら20時間で済むことを発見した。
- 一ヶ月で習得しようと思ったら1日45分で済む。
- 最初のコツを習得し、『できる』ようになるにはものすごく苦しい20時間が待っているが、それを乗り越えればできるようになる。
とのことです。
「スキル=時間」では測れない
「1万時間の法則」とは、マルコム・グラッドウェル氏が、書籍『天才! 成功する人々の法則』で広めた概念です。
各分野のプロを調査した結果、プロは約1万時間におよぶ練習を積み重ねていると主張しました。
「時間=技量」といった単純明快な理論がウケたのか、この言説は世に広まり、大勢の人が知ることとなりました。
しかし、物事はそう単純ではありません。
情報はどちらが正しいの?結局はどうするのか?
最終的な結論は次の「まとめ」とおり。
まとめ(結局、効果的に継続すること!)
努力は必ず報われるわけではありませんが、努力しなければ、実現の可能性はゼロです。
少なくとも努力をすれば、努力した事実と経験は確実に残ります。
一生涯、消えずに残り続けます。
厳しい現実と不条理に気づいても、努力は続けるべきです。
努力をすれば必ず残るものがあるのですから、そういう意味で「努力は裏切らない」と言えます。
また、何を目指すのか・・・この目的がとても重要です。
100mのタイムを速く走りたいのであれば、100m選手の筋力や食事、トレーニングをしないと、ただ、マラソン選手のように長距離を走るだけではタイムは劇的には変わらないでしょう。
そう、目的と実施している行動がリンクしていないから。
これこそが、努力をしても実りにくい原因だったのですね!
目的を持ち、目的に合った行動や知識、スキルを得ること!これを継続する積み重ねの努力が必要なのです!
【参考:関連ブログ記事】
【このブログ記事を書いた人の自己紹介】