スターバックス、リーバイスの創業者はユダヤ人(ユダヤ系を含む)ですし、アインシュタインもユダヤ人。
世界人口のわずか0.25%のユダヤ人が、ユダヤ系を含めるとノーベル賞受賞者の20%を占めているといわれています。『フォーブス』の長者番付で常に上位を占めているのもユダヤ人です。
ユダヤ人がこれほどまでに優秀な理由は、教育にあると言われています。
その教育が「タルムード」です。
この記事では、タルムード教えを抜粋して違った視点を学ぶことができます。
今日は、「体で一番偉いのは誰?」を題材にして学びますね。
皆さんは、何だと思われますか?
今日も新しい学びのスタート!
一番偉いのは誰?
ある国の王様が、不治の病に侵された。どんな医者もこの病を治せず、王様はどんどん衰弱していくばかりである。
そんな折、ある祈祷師が通りかかって、病気の診断をした。
「この病気を治すには、世界で最も手に入れにくいといわれている母ライオンのミルクを飲ませるしかありません。」
そこで、「母ライオンのミルクを取ってきた者には、どんな褒美でもとらせる」とおふれが出された。
とはいえ、子どもを守ろうとする母ライオンは、近づく者を皆かみ殺してしまう。褒美は魅力的だったが、国中の人間は怖がって、ライオンのミルクなどとても取りには行けなかった。
しかし、村に住んでいた1人の若者がこれに挑んだ。彼の目と耳が相談し、一頭の母ライオンを見つけた。いろいろ考えた末に、母ライオンに羊の肉を与えて一歩近づき、また次の日も羊の肉を与えて一歩近づき・・・と、これを何日も繰り返して近づく方法を思いついた。
若者はこの方法を勇気をふるって実行に移した。そして何日も繰り返して、両手、両足、両目は、母ライオンの乳房のところまで近づいた。若者はついにライオンの警戒心を解き、母ライオンの温かで新鮮なミルクを取ることに成功した。
ところが、いざ王様のところにミルクをもって行こうとしたとき、両手と両足と両目が喧嘩を始めた。
両目:「俺が母ライオンまでの距離を正確に目測し、一歩一歩近づくことができたんだ。だから俺が一番たくさん褒美をもらうべきだ。」
両足:「俺がいたからこそ、ライオンが襲ってきても逃げることができたのだ。一番大切な 役割だ。もちろん、一歩一歩近づいたのも俺だ。だから俺が一番たくさん褒美をもらうべきだ。」
両手:「母ライオンの乳を搾ったのは、この俺だ。それこそ一番大事な役割じゃないか。」
3人の争論を聞いていて、今まで何もしなかった「口」が、はじめて話し出した。
「両手も両足も両目もいっていることは全然なっていない。この俺こそが一番褒美をもらうべきだ。」
これに両目、両足、両手も大反論する。
「何を言っているんだ。お前は何もしていないではないか。お前の褒美は何もないぞ。」
ここで問題!
口はどのようなやり方で、自分が褒美をたくさん貰うべきだと両目、両足、両手に認めさせたのでしょうか?
思考力を考える
人間には足がふたつ、手がふたつ、目がふたつ、耳がふたつ、鼻の穴もふたつと、重要なものはすべてふたつあります。
ところが口はひとつしかありません。
皆さんは、このことについて「何故?」と疑問を抱いたことはありますか?
この理由など知らなくても生活にまったく支障がない『当たり前』のことについても、「何故?」と議論するのが大切なのです。
口がひとつしかないのは、口が手や足などに比べて格段に重要であると考えるのです。
議論や口論は必要
成功者が多いユダヤ人。
ユダヤ人の国「イスラエル」の語源は文句をいう人、口論する人、たてつく人という意味があります。
ヘブライ聖書では、ユダヤ人がすぐに上司(モーゼ)にたてつく、文句をいう。そのモーゼもその上司である神に対して口論を吹っ掛ける場面がいっぱいでてきます。
神は、自分にたてつくモーゼやユダヤ人をことのほか可愛がり、奇跡を起こし救うのです。
モーゼに導かれてエジプトを脱出した60万人のユダヤ人はエジプトの追跡軍に追い詰められ、南は海、後ろはエジプト軍という絶対絶命の窮地に陥ります。
この場合、日本人なら「この困難に臨み我々は一団結してエジプト軍と白兵戦を交えて潔く死のう」となるかもしれません。
しかしユダヤ人は、全員そうならなかったのです。
「モーゼに騙された。こんなことになるならエジプトで奴隷のままの方が良かった。こんな砂漠の中で死んじゃ墓にも入れない。何てことだ。」
議論・反論することの重要性
「上の者に文句をいう」
これがユダヤ人の特性です。
1万人の日本人をまとめるより、100人のアメリカ人をまとめる方が難しく、100人のアメリカ人を統率することに比べ5人のユダヤ人の指揮をとることは至難の業である。
そう経営組織論で言われる所以はここにあるんですね。
ライオンのミルクの説話が伝えようとするのは、口という存在の重要性があります。
では、あなたならどのような論理を用いて、口が最も重要であることを足や手、目、耳、鼻に認めさせることができますか?
一番偉いのは誰【続編】
話の続きを見てみましょう。
ミルクを王様に届けたときに、口が勝手に叫び出した。
「王様、ここに犬のミルクを持ってまいりました。これで王様の病気は直ちに全快するはずです。」
すると、王様はこの言葉に大激怒。
「母ライオンのミルクをもってこいといったはずだ。それなのに犬のミルクをもって来るとは何事だ!即刻処刑せよ!」
両目、両足、両手は、王様の剣幕に震え上がり、「おい、頼むから本当のことをいってくれ。」と口に嘆願したです。
「それみろ。口こそが一番重要なのだ。褒美は全部俺がもらうぞ。いいか。」
両目、両足、両手は、しぶしぶ了承するしかなかった。
両目、両足、両手を生かすも殺すも口次第。
他の器官を運命を握っているのは口だ、という訳です。
いや、僕は目こそが一番重要だと思う。
いや、私は鼻が一番だと思うわ!
という意見があるのは素敵なこと。
議論を活性化させ、思考停止に陥らないためには、むしろそういった意見が出てこなければいけない。
そして、目が一番大事だと思うなら、そう主張する根拠を述べて相手を納得させるのだ。そうすることで、思考力が鍛えられていくのですよ!
ブレイクタイム!
タルムードとは何?
動画で解説
「何故?」と問いかける重要性
何事にも疑問を持ち、「何故?」と問いかける。
普段は何の疑問も持たずただやり過ごしていることもに意識を向け、「なぜか?」と考えてみることで思考力が鍛えられます。
もし、あなたが子どもからこんな質問を受けたらどうしますか?
風は見えないし、形や色も匂いもない。
それなのにどうして感じることができるの?
皆さんならどのように答えるでしょうか?
正解はありません。
「見えない風を感じる理由」を一人ひとりが違う発想で考え、議論するためのトレーニングになると考え方、視点を変えることで新しい知識が得られるのですよ。
タルムードの教えは子育てにかなり役立ちます。
他にもタルムードに関する記事があるので参考にしてくださいね!
思考の「例外」や「タブー」を捨てる
「何故?」と疑問をもつことに、例外やタブーをつくってはいけません。
例えば、道端で子どもが20代くらいの男性を指さして、「お母さん、あの人の頭はなぜツルツルなの?」と尋ねたとします。
日本人の母親なら「やめなさい!失礼でしょう!」と子どもの発言をしささめ、その場からさっさと立ち去ろうとするでしょう。
身体的特徴を指摘するのは相手に失礼だし、言われた相手は屈辱を感じる。だから、言ってはいけない。と考えるのが日本人の発想です。
ユダヤ人の母は、「何故だかわかる?」と子どもに問いかけて考えさせます。
相手の身体的特徴であれ何であれ「何故?」を問いかけることの重要性を認めているのです。
「恥ずかしがり屋の子どもは学問ができない」という格言があるほど、「何故?」と問いかけられる子どものほど親が褒めるべきです。
「何故?」という問いかけを忘れたとき、思考力が停止するのですよ!
人生の好調な時ほど自分を戒める!ここにもユダヤの思考力があります。
面白い記事ですので一度、ご覧願いますね!
まとめ
口がひとつしかないのは、口が手や足などに比べて格段に重要であると考える。
「舌の先には幸せがある」(黙っていては幸せは逃げていくという意味)という格言があるように、よくしゃべり、よく発言し、よく主張することで幸せをたぐり寄せることができます。逆に黙っていれば幸せが逃げてしまうのです。
何事にも疑問を持ち、「何故?」と問いかける。
普段は何の疑問も持たずただやり過ごしていることもに意識を向け、「なぜか?」と考えてみること 。
最後に口は災いのもと・・・
余計な一言で人間関係が壊れることも!
そんな余計な一言で起こり得る危険をまとめた記事はこちら・・・
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【この記事を書いた人の自己紹介】
「舌の先には幸せがある」(黙っていては幸せは逃げていくという意味)という格言があるように、よくしゃべり、よく発言し、よく主張することで幸せをたぐり寄せることができます。逆に黙っていれば幸せが逃げてしまうのです。